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その後、藤琴川が米代川に合流する少し手前に加護山精錬所ができ、阿仁川流域の粗銅、藤琴川流域の鉛を「南蛮吹き」という方法で精錬し、銀を絞り出す、という精錬所が、大阪から来た商人によって開かれました。この技術は平賀源内が指導し、高い技術で確実に利益をあげていきました。秋田藩の財政を助けるために、藩はこの精錬所をも直営事業とし、多くの銀や鋳造銭をここで製造しました。
精錬するには、高温の火を熾さなければならないので、大量に炭が必要になります。そこで、藤琴川・粕毛川上流の広葉樹の山でさかんに炭焼きが行われ、川で運ばれたのです。 |
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加護山精錬所の模型。山の中腹には神社がある |
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加護山精錬所全景 |
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タタラを踏む仕事は女たちでもできた。保育園のない時代、子どもがまつわりつく |
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