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米代川流域の歴史  

米代川流域の人々が日用のほかに、
お金に換えるために
木材を伐採するようになって、
まだ500年経っていません。
 
 


  秋田杉はいつ頃から流域の外へ出ていたのでしょうか?
 米代川流域が、杉の産地として有名になったのは、戦国時代に入ってからのこと。その頃、全国あっちこちで城が築かれ、城下町が発展したため、太い材をとれる木が求められたからです。
 その当時、米代川流域から能代に運んだ杉を北前船という貿易船に積んで、若狭湾まで運び、畿内地方に売るという商売を握っていたのは、一帯をおさめていた豪族で、能代山中「桧山」に拠点をもつ「秋田氏」でした。。
 
  北前船西回り航路の図。能代から木材を積んでいった
   




 それまで地元の豪族として誰にも支配されずにいた秋田氏も、豊臣秀吉が天下を統一すると、貢ぎ物を納めなければならなくなります。秀吉は、北前船で運ばれてくる天然秋田杉の評判を聞いていて、自分が海を越えて朝鮮にまで行くための船をつくるために杉板を提供するように秋田氏に命じました。納めた杉の評判はよく、淀川を運行するための船に使う板、伏見城を普請する板など、次々と要求されるようになりました。
 
  北前船。秋田氏は、秀吉の時代に朱印状を得て、大いに栄えた
   





 その膨大な量に応えるために、今の二ッ井町の仁鮒沢や合川町の羽根山の杉を、米代川を流して出すようになりました。こうして、日常生活に必要な分以上に杉を伐り、外に出す、という林業が本格的にはじまりました。
 能代には畿内から大鋸を使う職人が米代川を下ってきた杉を船に積む前に板に挽くために出張してきていました。これが能代に製材業が伝わったはじめです。なお、山の現場に鋸が入るのはもう少し後で、江戸時代後半のことです。
 
 
 
 
 
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(c)モクネット事業協同組合   最終更新日:2001.03.31
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