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二ツ井再発見  


林業の隆盛は、
製材業から日用品の商いまで
さまざまな地場産業を潤わせた 。
 
 
 
 
戦後すぐに、二ツ井の駅のそばに線路と直結する形でできた秋木の二ツ井工場。右手前に太い天杉が見える  
   
   
 
二ッ井営林署と競売の風景。天杉がどんどん売れた  
 二ッ井は奥山から搬出される木材の集散地ではあったが、あくまでも物流の拠点であって、その木材を加工する産業はあまり発達しなかった。戦前からずっと続いている歴史をもった製材所といえば、今では、工場を仁鮒のすぐ向かいの米代川沿いに構えていた(株)二ッ井製材ぐらいになってしまった。

 ところが、昭和21年に天神貯木場から新しく出来た銀杏橋を渡り、二ッ井に通じる森林軌道ができ、また、営林署脇に公売所が設置され、製材業が急速に発展、にわかに二ッ井町の基幹産業として成長し、「二ッ井の町は、軒並み製材所や木工所」と言われるようにまでになった。能代に本社がある東洋一の「秋田木材」の二ッ井工場ができたのもこの頃だ。




 
   戦後復興期から高度経済成長期へ。日本は国をあげて工業化を推し進め、二ッ井や能代は労働力として都市に集中した人々に住まいを提供するために、秋田杉を伐り、材にして出すことに忙しかった。この頃、世帯の半分以上は、何らかの形で営林署や林材業と関わりをもっていたという。現在の町営住宅は、もともと営林署の職員宿舎であったし、特に、田代濁川地区などは、ほぼ全世帯が、営林署に関わり仕事をしていたと言ってよい。





 
駅の北側にあった営林著管轄の二ツ井修理工場。山仕事や製材機械を直す仕事がたくさんあった  
   
 
今では二ッ井唯一の鍛冶屋となった、安保鍛冶屋。若い息子さんが開発した「鍛冶やさんの手づくり薪ストーブ」が人気  
   
 
二ツ井営林署病院では、白蝋病の温泉療養を進めていた  
   
 天然秋田杉を豊富に有する営林署と、その天然杉を製材する材木屋が忙しければ、その周辺の業種も栄える。桶樽屋、下駄屋、建具屋など、木工関係はもちろんのこと、鍛冶屋では草刈り鎌、鳶口など山仕事の道具をつくるのに忙しかったし、山仕事の機械化が進むと、チェーンソーや集材機などを直す営林署管轄の修理工場もできた。チェーンソーが出回りはじめの頃、その絶え間ない振動のせいで手が麻痺するという山仕事の職業病「白蝋病」のための専門の病院も、全国にさきがけて開院した。

 直接に林材業と関わりないように見える小売店までもが、「みそ・醤油に至るまで」林材業の活況に与って生きていた。呉服屋は雨合羽や長靴、営林署職員の制服をおさめたものだし、町の飲食街は丸太や木材製品の商談でいつも賑わっていた。

  営林署のレクリエーションとしてはじまったものが町に定着した例もいくつかある。二ッ井は中学生のスキーが強いので有名だが、もともとそれは営林署職員の間でさかんだったのが浸透していったもの。テニスや相撲も同様だ。




 
 
中山スキー場はもともと営林署のスキー場としてできたもの  
   
 うなぎのぼりに成長してきた日本経済が失速してきたことが明らかになったのは、オイルショックから。住宅着工数は頭打ちとなり、加えて、木材需要に供給が追いつかなかった昭和30年代半ば以降入り始めた外材が国産材を圧迫したこと、住宅様式の変化で木材離れが進んだことなど、さまざまな要因が複合して林材業は昭和40年代半ばから、勢いをなくし、低迷した。

  しかもこの頃、戦前から高度成長期まで後のことを考える暇もなく伐採し続けてきた天然杉の枯渇がついに現実のこととなった。二ッ井は、優良材として高価に売れる木をも失っていたのである。

 
いまも頑張っている製材所
昭和30年代には50軒以上あったが、この平成13年には、ほんの7軒。
 
 「軒を連ねている」と言われた製材所も、平成13年には7軒となり、二ッ井営林署も13年の8月でその歴史を閉じる。優良な天然杉で潤った営林署と製材所も、二ッ井からは消えつつある。それとともに、林材業を基幹産業として栄えた二ツ井の町も、活気を失っている。




 
   これから二ッ井はどう生きていけばいいのか。「もう山はダメ。木もダメ」そうは思いたくない。山には天杉ではないが先人が手をかけ植えてきた杉が、幾筋もの支流が集まる米代川がある。

 木材を集まることで生きてきた二ツ井。その原点を見直して、これからの地域をなんとかしていきたいと願う人の、切実な思いから生まれたのが「モクネット」なのだ。

 ただし、「二ッ井を林材業の町として再びおこしていく」といっても、戦後復興からオイルショックまでのたったの四半世紀ではじけた「天然杉バブル」の時代に戻ることを意味してはいない。国があおった経済政策を支えるために、国有林だったとはいえ「地域の山」を切り倒して、繁栄を謳歌した時代。先人が持続的な林業を営んできた何百年とくらべたら、なんと短かったことか。そこにこそ教訓を読みとり、先人の知恵をもういちど学び直して再出発しよう。
 
 
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(c)モクネット事業協同組合   最終更新日:2001.03.31
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