top > 二ツ井再発見 > 天杉林業全盛時代
上の階層へ戻る 前のページへ 次のページへ
       
 

 
二ツ井再発見  


二ツ井の南部、
田代濁川地域 は、つい30-40年前までは
天然杉の宝庫だった。
その頃の跡が、町のあちらこちらに残っている。
 
 
 
   二ッ井には米代川沿いに東洋一の規模といわれた七座営林署の天神貯木場、荷上場営林署の二ッ井貯木場、能代営林署仁鮒事業区の仁鮒貯木場があり、奥の沢から伐り出された杉がどんどん集まっては、仕分け山積みされていた。この仕事を「巻き立て」という。全身の力をこめて原木を引き上げるので、作業は「よいと巻け!」と威勢のいい掛け声をしながらしていたそうだ。
 
 
東洋一の規模といわれた天神貯木場  
   
 
 
巻き立てられた天然杉の山  
   




 
 
杉の丸太を筏に組んで米代川を能代まで流す  
   
 そして、雪のない季節には、貯木場から能代の製材所や港へのおよそ24kmの距離を、筏に組まれた天然秋田杉が、日々流されていた。順調に行くと朝5時半頃仁鮒を出て、昼頃に能代に着いたが、天候や潮の具合で二日、三日がかりになることもあったそうだ。

 筏というと原木の丸太で組まれているように思うが、そうなったのは、能代で機械製材がはじまった明治中頃以降。それ以前には、製材まで山でしていたので、角材を組んだ筏だった。




 
   沢をさかのぼった奥の山から米代川まで、夏は沢の水を利用した管流しで、冬は馬橇や人橇で搬出していたが、明治後期からは森林軌道や森林鉄道で運び出すようになった。明治40年、最初の森林軌道が仁鮒-秋山間に敷かれ、手で貨車を押すトローリー運材が始まり、9年後の大正5年には、蒸気機関車が木を満載して貨車を引き、走るようになる。
 
 
トロッコで軌道の上を運ぶ手押し運材。若い男女二人組での仕事なので、応募者が多かったという  
   
 
 
やがてトロッコは森林鉄道に変わっていった  
   
 
日本一の吊り橋、高岩橋。駅前食堂には畠山さんがつくった模型がある  
   
 地図には森林鉄道や森林軌道が走っていた主要な線の跡を示した。濁川・田代、合川から能代へ向かう筏の出発点である仁鮒へ、そして藤琴から天神貯木場や二ッ井駅へ、と山奥の沢々から伐り出した木を運ぶ線が伸びていた。
  藤琴川を渡る「高岩橋」は森林鉄道としては日本一の長さの吊り橋であった。ほかにも、これらの主要線に合流する支線がたくさんあったという。

 「森林鉄道」は住民の足としても親しまれ、山奥の人たちの生活を支えていた。森林鉄道の運転手といえば花形で、「大モテだった」という。
昭和30年代後半になるとトラック輸送がさかんになり、森林鉄道は大型トラックが入る林道にとってかわられたた。森林鉄道が最後まで残った金山線も、昭和44年を最後に廃止された。
 
 
山奥まで走る森林鉄道は、地域住民の足でもあった。嫁ぐ花嫁と見送る人びと  
   
 
 
昭和39年最後の運転となった金山沢=濁川間の森林鉄道。ご苦労様、の横断幕がかかる  
   
 
 
0: top 1: 今、山はどうなっているの? | 2: 二ツ井再発見 | 3: 米代川流域の歴史
4: いのちはめぐる | 5: 未来への構想 | 6: そしてモクネット

(c)モクネット事業協同組合   最終更新日:2001.03.31
上の階層へ戻る 前のページへ 次のページへ