top > 今、山はどうなっているの? > 木の値段 (3) 外材の圧迫
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山を育てる
山仕事のしかた
山の値段
伐採量・需要・造林面積
恐慌〜戦争〜復興〜高度経済成長 低成長時代に突入 これからの課題
 
木の値段(3)  

日本の国土の7割は森林だというのに、
山に伐る木はあるというのに、
木材自給率は2割以下。
なんでなの?
 





     
 

 
   昭和25年に朝鮮動乱が起きると、米軍が戦略物資を買い付けたため、戦争で破壊された日本経済は急速に活発になり、成長していきました。この好景気が、それまでの復興期にはバラックに住んでいた人たちがちゃんとした家をたてるきっかけをつくり、その後、昭和35年からはじまる高度経済成長期にまでつながる形で、住宅着工数は伸び続けていきました。それにつれて、木材の需要が増大、供給が追いつかないため、木材価格はどんどんあがっていきました。昭和26年の平均消費者物価が、戦前の昭和9〜11年の300倍であるところ、木材価格だけはそれをはるかに上回る400倍にまで高騰していました。

 国は、昭和33年以降、林野庁の基本方針である「国有林野経営規定」を変更、国をあげての増伐と拡大造林に励みましたが、それでも供給が追いつかず、このままでは、森林資源を伐りつくすことになってしまう、という懸念から、昭和35年、外材の輸入制限枠を大幅に拡大しました。
 下の表を見ると、たった20年間で、木材の自給率が半分を割ってしまうようになっているのが分かります。

  できごと
外材輸入率

国有林の生産量

昭和18年

終戦間際、乱伐のピーク
-
2,500
20年 終戦
-
1,500
25年 朝鮮動乱
0%
1,100
30年 神武景気
5%
1,800
35年 所得倍増計画
13%
1,900
40年 いざなぎ景気

29%

2,300
45年 公害国会
55%
2,000
50年 ドルショック(46年)→オイルショック(48年)→低成長時代へ
61%
1,500
55年 →林政審議会「国有林の危機」を宣言(59年)
68%
1,300
(単位=万平米、10万以下は四捨五入)
(徳義三男著「国有林を考える」にっかん書房より)




 
   非常処置に対応しただけと誰もが思っていた外材の輸入は、どんどん増加し、昭和45年には日本で使われる材の半分以上が外材になってしまいました。そして今や、木材の自給率は20%前後にまで落ち込んでいます。はじめのうちは、木材といっても、丸太で入ってきていたのですが、昭和から平成に移る頃には、輸入製品が輸入丸太を上回るようになり、製材所の仕事まで奪う結果になっています。この外材の圧迫が国産材の原木価格、製材品価格の低迷を招く、ひとつの大きな要因となっています。
 
 
国産材の自給率の推移と県内流通材の内訳  
じわじわと外材の輸入量が増え、それが次第に輸入製品に取って替わられていく。国産材のシェアは落ちる一方  
(林野庁「林業の動向に関する年次報告」平成11年度版より)   
 
 しかも、国産材で自給している分の中身をみてみると、外材は製材や合板において大きなシェアをもち、国産材が多く使われるのはパルプや木材チップといった質の低い部分ばかりになっていることも分かります。木材自給率をあげることの中身としては、製材品の比率をあげていくことがなんとしても必要です。
 
 
用途別にみた外材のシェア  
全国での木材関連産業において、外材の占める割合。製材・合板に外材が多い。パルプ、チップなど価値の低い木質素材は国産材が占めている  
   




 
   なぜ、国は、日本の山や製材業界がここまで苦境に立たされているのに、外材の輸入を制限しないのでしょうか? それは、国と諸外国との間の貿易の問題から、制限できないでいるのです。日本は工業製品を輸出するかわりに、農林産物の関税を引き下げ、市場を開放しなさい、という特にアメリカからの圧力に逆らえないでいるのです。商工業には力を入れるが、経済原理にのりにくい農林水産業はおろそかにしがちな日本の政治が、この傾向に拍車をかけています。林野庁や環境省の立場からいえば、望ましくないことであっても、貿易や商工業の面で外国とのバランスを取るためには致し方ない、ということなのです。日本の国土、大地や水や空気を護っている山があぶなくなっても「仕方ない」と言って、果たしてよいものなのでしょうか・・・。

 国が外材の輸入制限をしそうにない、ということであれば、外材や輸入製品との競争に打ち勝っていかなければならない、ということになります。地形が急峻なため、木の搬出が手間がかかる上に、伐出人件費や運賃も高い日本としては、きびしいところで、遠い外国から、防腐処理をした上で、船賃をかけて運んできても、その方がなお安い、という現状があるのです。加えて、気候が湿潤な日本の材は、北米や北洋の材よりは乾燥がむずかしく、「含水率」という数字の上では、国産材は外材にかなわない、ということになるのです。外材が入ってきてまだ半世紀もたっていません。気候風土の違うところで育った木が本当に長持ちするのでしょうか? その疑問についての実証的な答は、まだでていません。

 近年の秋田県の素材生産量と、外材の入港量のデータを見ると、おととしから、県産材の量が外材の量を下回っていること、そして、 外材の内容としては、東南アジアからのラワン材や米材が減り、北洋材が躍進している様子が分かります。ラワン材の減少については、サラワクの熱帯雨林の問題など、国際的な世論として、最大の輸入国である日本に批判が集まっていることが、米材の減少については、現地でのシマフクロウ絶滅問題から、現地が輸出制限をしはじめていることがその原因となっています。増えている北洋材の供給量の中身は、集成管柱や梁材となる木材です。住宅部材の部分で、シェアをのばされている、ということは、日本の林材業にといっては痛手です。

 
県内の素材生産量と外材の入港量の推移。外材が県産材を上まわるようになっているのと、外材の中心がパルプ・合板用のラワンから集成管柱・梁材用の原料となる北洋材に移りつつあるのが分かる  
(秋田県林務部木材産業課発行 月刊木材情報のバックナンバーより)  




 
   もしこのまま外材への依存が高まっていった上で、外国の都合や貿易上のさまざまな問題から、外材が入らなくなったとしたら、日本はどうするのでしょうか? もしもその時すでに日本の林業が壊滅的な状態にまでなっていたら、それこそ日本の山から木が出てこない、という情況になりかねないのではないでしょうか・・・。

 国産材の低迷を、外材のせいばかりにもしていられません。国産材の供給が需要に追いついたのに、材を求める人が外材に走った、その原因をよく見つめなければなりません。外材を輸入しているのは、商社や住宅メーカーで、家づくりまで含めた一貫体制の中で、材を買ってもらうべき相手に対して、しっかりした営業をしています。対して、国産材が流通していくプロセスは、というと、素材生産から原木市場、製材所、材木卸市場、材木店、工務店とさまざまな業種に細分化していて、しかも互いに商売上、「売り」「買い」の対立関係にあり、連携がほとんどない、というのが現状です。

  これからは林業、製材業、建設業と、国産材にかかわる川上から川下まで、すべての業種が連携して、外材にきちんと対抗できるような材の質、無駄のない流通システム、そして特に私たちが住んでいる、この日本の自然環境面について、などのアピールをしていく必要があるのではないでしょうか。モクネットも、小さいながらも、さまざまな業種の仲間たちに応援してもらいながら、 米代川流域の秋田杉並材を集めて、「木が見える家」を住まい手に建ててもらえるような仕組みを作っています。全国の流域にそのようなネットワークができ、木の家を建てたいと望んでいる人のニーズにきちんとこたえていけるようになれば、少しずつでも情況はよくなっていくのではないかと思います。
 
 
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(c)モクネット事業協同組合   最終更新日:2001.03.31
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