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山の80年人の80年
秋田杉はもともと長伐期林業
立派な材をとるのに 最低80年と言う。
30-40年で伐る九州の倍は待つのだ。
親が子を育てるのと同じで、植林の山では、木が自力で生き、いい材に成長するまでの間、人の手をかけてやることが大事です。そのためのいろいろな作業を「育林」といいます。「じいさまが手かけてくれた山」というのは、こうした作業をちゃんと怠らずしてくれていた、という意味なのです。
人間ならば、成人するまで20年。木の場合はもっと時間がかかります。材を取れるようになる頃を「伐期」といいます。一般的には杉は35年で伐期を迎えますが、秋田杉は大径木を活かして使ってきた材。どーんと太い天然杉の丸太から、芯去りの柱をとるような製材が、特色でした。このような秋田杉の地域性を活かした材をとるには、およそ80年かかります。
今でも昔から天然杉を挽いてきたような製材所は「35-45年生なんて、まあだ若い」という感覚をもっています。これから若い造林杉をも使っていく時代になってはいきますが、それと同時にこれから半世紀かけて秋田らしい長伐期林業を再生させていくこともできます。先人が培ってきた地域の特長ある林業を育てていきたいものです。 このコーナーのタイトルを「山の80年、人の80年」としたのは、そのためです。
80年前、といったら、昭和にさしかかる頃。今のこどもたちのひいおじいちゃんがまだ成人していない時代です。その頃に植えられた木がやっと一人前の杉になっている。その間に人の社会はすっかり様変わりしているのとくらべて時間の流れがなんと違うのでしょう!
春から初冬にかけて米代川の風物詩として親しまれてきたのが、天然杉の筏流し。上流の沢から運ばれてきた原木が、米代川に合流するあたりで筏に組まれて、製材所がたくさんある能代まで流送されたが、昭和30年代、原木のトラック輸送が普及するとともに姿を消した。能代で機械製材がはじまる前の明治中頃までは、山である程度製材したものを筏にしていたようだ。(詳しくは、
「山仕事の四季」
へどうぞ)昭和39年まで筏流しが残っていた仁鮒の内川河口には「筏流し発送の場」という碑が建っている。
夏に下刈りをする
除伐作業
苗木の成長の妨げになる灌木などを切る作業です。秋に行います。これによって、活力のある森になります。
雪や風で折れたり倒れたりしないようにするために、下の方の枝を切ります。春先や秋に行います。雪の重みが枝にかかる米代川流域では、大事な作業です。なお、林内に強風が入るのを防ぐために、林の外に接する林縁木は枝打ちしません。
木にのぼって枝打ち
間伐は大事な手入れ
苗木が成長してきたら適当に間引きして、木に土の栄養がゆき渡ったり、太陽がきちんと当たったりするようにします。およそこの15年間に3回行います。これを怠ると、森は薄暗くなり、木が混み合ってひょろひょろにしか育たないばかりか、雨が降ると表土が流れてしまうような荒れた山になってしまいます。最近では、国でも県でも間伐を補助する体制が整ってきています。
木の年齢は「令級」という5年を1令級とした単位で数えます。木を植えてから材を取れるようになるのは、少なくとも7令級以上からあと。「芯持ち」といって、木の芯を含ん柱ならとることができます。
(林野庁「林業の動向に関する年次報告」平成12年度版より)
伝統的な秋田杉の使い方からすればさらに45年、16令級はいっていないと、と言われます。「芯去り」の柱や幅広の天井板などが主力製品だったからです。30年前まではそういう木しか挽いてこなかったのに・・・。全国的な「林業がきびしい」という情況とはまた違った苦しさをかかえている、というのはこの点なのです。
グラフを見れば、ところが、そんな令級の山は、今はすっかりない事が分かります。あと半世紀かけて育てていけば秋田杉らしい山を再生できます。
それまで、手をかけて育て、今材にするものを選んで伐り、売ってつないでいきながら、最終的には80年、100年という長伐期の林業をめざす。これが、これからの米代川流域らしい林業復活のシナリオです。
木の芯の部分は杉独特の赤味がある。へりの部分は白っぽい。芯を含む柱を「芯持ち」、含まない柱を「芯去り」という
芯持ちの秋田杉。樹齢3寸角なら35年、4寸角なら45年ぐらいから取れる
芯去りの秋田杉。芯去りでとるには、樹齢80年ぐらいは必要
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今、山はどうなっているの?
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二ツ井再発見
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米代川流域の歴史
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(c)モクネット事業協同組合 最終更新日:2001.03.31