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| 複層林に育てている山 |
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| まっすぐに成長する杉 |
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山に木がないわけではない。多くはないけれど明治大正時代に造林した70〜80年生の山もあるし、高度成長時代の終わり頃に「このままでは杉がなくなってしまう」ということで、それまでは薪を取るための広葉樹が生えていた民有林の多くを、杉の山にしています。植えた人は「これがこどもの代にはきっといい財産になる」と信じて植えた杉の山が。
「裏山を一面杉山にしてしまって、結局何もならなかった」という批判もあります。その批判があたっているかどうかは、その山をこれからどうしていくかにかかっています。
今、30年生以上になっているその杉山。あと10年もすれば、芯去りとはいかないけれど、芯持ちでなら材を取れるようになるのです。
それまでの間、山持ちが山をなげてしまわないように、なんとかしなくては、ということで国も県も間伐補助などで山林経営を支えています。
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| 民有林の面積と蓄積。昭和40年代「1万ha造林運動」で面積は倍以上、
蓄積量は5倍以上になっている。 |
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| 山の木が材になって |
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| 家になる |
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山がダメになるということは、あたりまえのように吸う空気、飲む水、立つ大地、すべてにひびくこと。緑がなくなったら、誰も生きていけません。その恩恵にあずかっているみんなの「代わりに」山を育てている人たちを、どうしたら支えられるのでしょう?
簡単な答えがひとつあります。それは「木を使うことで山をよみがえらせる」ということ。 山の木が活かされる道があれば、木を出してもそれなりのお金にはなり、やっていけるのですから。
山がなくなってしまってもいいのでなかったら、ちゃんと考えましょう。「国産材よりちょっと安いから」外材を使う、プラスチックや新建材でいい、っというのでなくて。「木の家に住めないだろうか」「木の机を使えないか」「木のガードレールにできないか」「木で暖をとれないか」・・・。考えてみれば、昔はほとんど木でまかなってきたのですから、
できることは、たくさんあります。そして、きっと、そうしたことが気持ちよく暮らせるはずです。人と木は、本来、相性がいいものなのです。 |
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山のことは山の人の問題、材のことは材を挽くひとの問題、家を建てることは大工の問題、それぞれのセキニンってことにして・・・で、住む人は住宅メーカーのカタログに載ってる家を買えばいいんだ。そんな風に分断されたままでは、何にも変わりません。
山の樹が木になって材になって家になって、あるいは材にならない木のほかの部分がなにかになって、っていう大きな「循環」について、みんなで知恵を出し合って考えることが必要です。つながりの中で考え、それぞれがその中で最適な役割を果たしていってはじめて、ひとりひとりで考えた時には「お先真っ暗・・」としか思えないようなことに、明るい兆しがさしてくるのです。
高度経済成長しなくたっていい。必要以上にもうからなくてもいい。いつまでも自然に恵まれて生活できれば。その方法を、つながりの中で見いだしていけばかならず、道は開けてきます。 |
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