top > 今、山はどうなっているの? > 伐りつくした50年間
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山を育てる
山仕事のしかた
山の値段
伐採量・需要・造林面積
恐慌〜戦争〜復興〜高度経済成長 低成長時代に突入 これからの課題
 
山の80年人の80年  
 





     
 

 
   今から80年前といえば1920年代、大正時代です。1914年からの5年間、第一次世界大戦の軍需で潤った日本の景気にかげりがさした頃です。戦後恐慌、そして関東大震災、金融恐慌、昭和恐慌・・・。国は、国内の経済不安を、アジアに進出することで解消しようと、昭和2年、中国に出兵します。そして5年後には満州国を建国。その5年後の昭和12年には、中国全土に戦線を拡大し、日中戦争に突入しました。

 その戦争はそのまま昭和16年の真珠湾攻撃にはじまる太平洋戦争へともつれこみ、昭和20年広島・長崎への原爆投下ののちに敗戦となるまで、ずっと戦争状態が続きました。昭和13年には「国家総動員法」が制定され、食料も資源・エネルギーも労働力も、すべてが戦争に注ぎ込まれる情況を迎えました。




 
   秋田の天然杉も、国家総動員法の対象となり、軍需目的でどんどん伐採されました。金属類が枯渇した戦争末期には、木製飛行機や木製輸送船すらつくられており、能代の製材業界はそのために随分と協力させられています。さらに、昭和にかわる前頃からずっと続いた不景気と戦争のための男たちの動員とで、植林もままならない状態が続いたため、豊かな森林資源は徐々に食いつぶされていったのです。




 
   昭和20年の終戦とともに、戦後復興がはじまりました。失われた家や町を再建するため、米代川流域からもたくさんの天然杉が伐られ、都市部に運ばれました。

 能代だけでなく二ツ井にも製材所がたくさんできるようになり、流域は、全国にさきがけて「木材景気」に大いに沸きました。二ツ井の天神貯木場は東洋一と言われるほどたくさんの木を集めましたし、仁鮒の土場からは、毎日のように筏で材が能代に流されたものです。
 
 
 
東洋一の天神貯木場  
   
 
 
木が筏で能代に着く  
   
   昭和30年代に入ると、国をあげての高度成長時代に突入。農林業はおいておいて、とにかく国の売り上げになる工業生産をどんどん伸ばそう。そんな国の方針で、田舎の若者は大都市で働くために集団就職列車に乗って出ていってしまい、働き盛りのお父ちゃんたちは田畑を休む冬の間、大都市に出稼ぎに出かけさせられました。

  そうして人口がふくれあがった大都市の住宅の建設のために、木材はどんどん使われました。昭和30年代に進んだ林業の機械化が、その勢いにますます拍車をかけました。
 
 
 
一日かかっていたことが  
   
 
 
一瞬でできるようになる  
   




 
   森林資源の蓄積量を上回って伐っていったために、当然、木材が足りなくなってきました。その不足を補うために、外材の輸入が解禁となり、昭和45年には出回る半分以上が外材になってしまいました。

  同じ頃、あんなにあった天然杉の枯渇がいよいよ現実のこととして見えてきました。江戸時代からずーっと大切に育てられてきた天然杉が、戦争前から高度成長にかけての50年間で、すっかりなくなってしまったのです。
 
 
 
天を指す
100年以上の天然杉
 
   
 
 
天然杉の抜根の天井板  
   
 
 
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(c)モクネット事業協同組合   最終更新日:2001.03.31
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