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駅前食堂:畠山孝夫さん 飯塚呉服店:飯塚昌彦さん 北秋田森林組合:渡辺俊一さん 吉岡林業:吉岡さん
民林:高橋さん 白神森林組合:佐藤さん 米代西部森林管理署:山下秀勝署長 木材高度加工研究所:佐々木教授 モクネット事業協同組合:加藤長光
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山を育てる
山仕事のしかた
山の値段
伐採量・需要・造林面積
恐慌〜戦争〜復興〜高度経済成長 低成長時代に突入 これからの課題
 
地元が語る二ツ井の今  


飯塚昌彦さん(飯塚呉服店)
 
 
  飯塚呉服店の三代目、 飯塚昌彦さん
   
この方にお聞きしました

飯塚さんは、二ツ井に三代続く呉服屋さん。山が栄えていることと商業との関連についてお話していただきました。

     
 

 
 
まちでこんな看板を見つけた。実際には、二ツ井営林署は米代川西部営林署の出先事務所に降格している  
   
  我々商業というのは、町の基幹産業が成り立っていなければ、やっていけないんです。二ッ井の場合、それは基幹産業とは、営林署と材木屋だった。基幹産業が栄えていれば、それに関係する周辺業種がまずにぎわいます。桶樽、木工、下駄、山仕事の道具をつくる鍛冶屋、みんなそうです。うちは営林署に雨合羽や長靴、制服なんかを納品して、それだけで年間3千万なんていう数字があがっていましたよ。うちばかりじゃない、自転車屋さんだって営林署の事業所にみんなおさめていたし、料亭は羽振りのいい材木屋の旦那が全国から材を買い付けに来る客と商談をする場だったし、花街にはねえさん達がたくさんいた。みんな、基幹産業である林材業が栄えていてこそ商売していたんです。
 全盛期には、町の半分以上の世帯が、山とかかわってきたといっていいと思いますよ。天然杉地帯であった仁鮒の奥ではほぼ全世帯でしょうね。それだけの人が関わっていれば、その人たちの衣食住を支える他の業種も潤うわけですね。林材業で食べている人が生活するわけですから。そうやってみると、みな、その恩恵にあずかって生きてきたんです。



 
 
二ツ井の営林署は保養施設までもっていた。七座山のふもとにある「天神荘」  
   
  その基幹産業である林材業が最近はさっぱりふるわない。 二ツ井の営林署は、統合されて、能代の森林管理所の出先機関になったし、森林組合も広域合併されました。製材所の数もどんどん減ってきています。
  それにつれて、商店街も櫛の歯が抜け落ちるように、シャッターをおろす店が出てきた。休みがちだったのが、だんだん店を閉め、能代へ出る勤め人になっていく。そんなようになってきてしまっています。商工会では、このような情況に危機感をいだいていますよ。
 



 






















なんで、木と関係ないお仕事の人がモクネットをおうえんしてるのか、分かるような気がしてきた!
 私は林材業とはまったく関係ないんだけれど、そういった意味で林材業をなんとかしていかなければ、と思っていますよ。だから、モクネットの運動にも参加するんです。たぶん、すっかり元気をなくしている林材業そのものからは変革は起きないんじゃないでしょうか。町や地域をどうにかしていきたい、そのためにどうしていったらいいのか、そういう発想しかこの情況を動かせないんじゃないか。

 
東洋一の製材所といわれた秋木の二ツ井工場。戦後、二ツ井の木材景気をリードした  
   
 
 
秋木の七夕まつりの賑わい。  
   

 モクネットの運動に可能性があるのはそこなんです。中にどっぷりいたら「そんなこと言ったって」ってなっちゃうんだから。林材業をなんとかするには、木を一番多く使う住宅をなんとかしなければいけない、そのための鍵になるのは業界じゃなくて、異業種のネットワークだと思いますよ。
 
 
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(c)モクネット事業協同組合   最終更新日:2001.03.31
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