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駅前食堂:畠山孝夫さん 飯塚呉服店:飯塚昌彦さん 北秋田森林組合:渡辺俊一さん 吉岡林業:吉岡さん
民林:高橋さん 白神森林組合:佐藤さん 米代西部森林管理署:山下秀勝署長 木材高度加工研究所:佐々木教授 モクネット事業協同組合:加藤長光
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山を育てる
山仕事のしかた
山の値段
伐採量・需要・造林面積
恐慌〜戦争〜復興〜高度経済成長 低成長時代に突入 これからの課題
 
地元が語る二ツ井の今  


畠山孝夫さん(駅前食堂)
 
 
  駅前食堂の畠山孝夫さん
   
この方にお聞きしました

駅前で食堂を営む畠山さんは、二ツ井の「生き字引」。戦後からの歴史をどのように見ておられるか、伺いました。

     
 

 
   戦後の二ッ井、景気よかったですよ。でもそれも、自分さえよけりゃ、その場さえもうかって、うまくいっていりゃいい、っていうことで流されていたようでもありますね。伐り続けていくばっかりでは天杉はなくなってしまう、分かっていたはずなんだが・・・。

 山仕事の人の慣習で、昔から、はじめての山に入る時にはその山をご神体に見立てて、ちゃんと鳥居を立てて、山の神様に祈ってから仕事を始めたものです。形だけでなく、山は神様のもの、という感覚を本当にもっていれば、山が枯渇するところまで伐り尽くすなんていうことはないはずなんです。そういうバランスをいったん失うと、自然は自分で回復する力をもっているから必ずしも取り返しがつかないわけではないんだが、少なくとも、調和した状態に戻すにはうんと時間がかかるんです。

 
 
新しい山に入る時には、鳥居を立て、山のしきたり通りに神に祈った。これを「鉞(まさかり)立て」という  
   
  林政について善政をしたと評価されている秋田藩の時代にも、伐り過ぎて全部なくなってしまったことがあったんです。伐り過ぎればなくなる、なくなれば何もならない、そこのところを見通して、伐採量をきちんと把握して制限する「留山制度」ということを考え、実行したもんです。
それがその後、秋田藩の天然杉林をそっくり引き継いだ営林署が率先してどんどん伐ってたんだから。国の要求とか雇用の問題とかいろいろ事情はあったんだろうが、山そのもののことを一番考えていなかった。
こう、お金ばかりがまかり通る民主主義の世の中じゃ、人間の欲そのものを制限する、っていうのはむずかしいことですな。



 
 
大鋸。美しい切断面を得るには、目立てが肝心  
   
 とにかくどんどん来る木を右から左へ挽いていくだけで忙しかった。忙しすぎて、そういうあたりまえのことを考えることもなかったんでしょうね。
その上、昭和30年代以降は、林業の機械化が進んだでしょう。私も終戦直後、ちょっと大鋸で天然杉を挽いてましたけど、太い直径を一日に3本分切ってやっと一日でした。一時間挽いて、そのあと二時間鋸の目立てにかけたものです。それが、機械でガーッっとやっちゃえば、あっという間でしょ。どこか無神経にもなる、っていうか、勢いが違うでしょう。そこで何かバランスが狂っていったのではないかなあ、とも思うのですよ。



 
 
米代川舟運の中で大きな役割を担っていた二ツ井の荷上場  
   





歴史に学べ、っていうことですね!
 二ツ井には荷上場という川湊があって、川上から来る木や鉱物資源、川下からくる生活物資が行き交って、随分とにぎやかだった。 でも、物の集散地であって、物を作り出していたわけじゃないんですよ。商業・流通の町。その体質がずっとあるのかなあ、二ッ井には。ところが今はその右から左へ流していくものがなくなってしまったら、どうも立ちゆかなくなったんですねえ。木や材によりかかって生きていたわけで、それがダメになっているんだから。

 逆に今が考えどきですよ。二ッ井に何があるのか。天然杉には劣るといっても、今どうにもならなくなっているとはいっても、悲観することはない。山に造林杉はあるわけですしね。まあ、集散地らしく行くんだったら、それをどう流通させていくか、っていう工夫の部分でやっていくとかね。加藤さんがやってるモクネットの家づくりは、そういうことなんでしょうな。 こういうきびしい時代になってこそほんとのこと考えて、何とかしていかないとね。
 
 
 
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(c)モクネット事業協同組合   最終更新日:2001.03.31
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