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「梅内聚落有林部分林」
「梅内聚落協議会」とは?
村人全員に行きわたった臨時収入
対照的な道を歩んだ梅内と仁鮒
「梅内聚落有林部分林」はみんなの財産
先の世代につないでいくこと
 
  [日本全国の農山漁村にあった「入会地」や相互扶助の慣習
  昔はどこの農山村にも、集落の裏手の「里山」には村の誰もが利用できる「入会地(いりあいち)」がありました。入会地から採れるものは、村の誰もが、そこでのルールをきちんと守れば利用することができ、それが村人の生活を支えてきました。その土地に住むものであれば、たきぎを取り、炭を焼き、山菜を採り、牧草や屋根を葺く茅を刈ることが、現金を使うことなく、できたのです。入会地の山を同じくする単位が、字、小字いわゆる「うちの村」といわれる生活の単位でもありました。隣の村の者が勝手にそこの山に入って利用すればもめごとになりましたが、村の者が利用する分には、そこの空気を吸ったり、水を飲んだりしていいのと同じで、問題にはならなかったのです。

明治以降、町村合併などにより、農村の「入会権(地域の住民全員が、ある一定の範囲の森林・原野・漁場に入り、木材・薪炭・まぐさ・海産物などを採取し、用いる権利をもつこと)」はだんだんとなくなりましたが、高度経済成長前頃までは、入会地的に里山の恵みを生活に利用する慣習は残っていました。また、人と人とのつながりでも、冠婚葬祭や家の普請、屋根の葺き替えなど、多くのことが秋田でいえば「結っこ(ゆいっこ)」とよばれる相互扶助によって行われていたといいます。すべての土地がどこか個人・法人のものであり、すべてのサービスにお金が発生する現代の資本主義経済では考えにくい慣習ですが、ひとびとが助け合いながらうまく生きていくための知恵がそこにはあったのです。
 
     
  [在郷の人々に山林の利活用を促した秋田藩の「留山制度」]
  秋田藩の時代にあった「留山制度」では、藩の財産としての良材を育てるため、杉山の伐採を禁じていました。が、一方で、集落との一定の約束事にもとづいて、藩の所有である雑木山を生活のために入会地的に利用できる「郷山」を設け、また杉山についても集落での植林・育林を奨励し、木が材となった時の対価を分け合う取り決めを定めていました。つまり、一定の条件のもとで、その土地の所有者でない人の利用を許し、さらに、自助努力で、所有していない土地から利益をあげる可能性をも開いていたのです。そうした特典によって人々の意欲を奨励した秋田藩の林政は、農山村の活力を引き出す善政であったといえるでしょう。 現代見られる類似した制度としては、「分収林」があります。それは、国有林や県有林、町有林などを民間で植林・育林した場合、最終的にあがった利益を所有者と利用者との間で2:8、3:7といった割合で分けるという制度です。分収の取り決めがなされた山林を「部分林」または「区分林」と呼ぶこともあります。「分収林」の制度は、かつて秋田藩の林政の恩恵にあずかったことのある農山村の人々には、なじみやすいものであったといえるかもしれません。今回ご紹介する「梅内聚落有林部分林」には、秋田藩から秋田県へと時代が変わっても、そのような精神がいきづいていることが感じられます 。  
   
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(c)モクネット事業協同組合   最終更新日:2001.12.01
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