うまくいっているまちづくり その1
滋賀県 近江八幡市
戦国時代の自由都市が生んだ掘り割りを現代に復活!
滋賀県の近江八幡市
は、琵琶湖の東にあります。戦国時代、信長が本能寺の変に倒れた後、18歳にして43万石の領主となった豊臣秀次が葭(ヨシ)が生い茂る原野に造成した城下町です。秀次は、この新しい町を自由商業都市として発展させることを目指し、旧安土城下の商人、職人たちをここに集め、楽市楽座を取り入れました。
また琵琶湖から安土へと抜ける全長6kmにも及ぶ運河「八幡堀」をつくり、「掟書十二ヶ条」を公布。琵琶湖を往来する荷船を寄港させることで、利益をあげられるような仕組みをつくりました。
以来、近江八幡は交通の要所、物資の集散地として栄え、「近江商人」の名は日本のみならず世界にまで名を馳せるようになります。
また、町内には傾斜をうまく利用した排水路「背割用水」を設けました。日本初の都市公共下水道網です。排水は八幡堀を経て、琵琶湖のまわりの内湖に流れ込みます。ここは葭に住みつくバクテリアが、汚水を浄化するという、天然の浄化槽になっていました。
八幡掘沿いに美しい桜並木が続く (この写真は
近江八幡町のホームページ
から転載させていただきました。)
ところが昭和30年代に、先人のすぐれた都市計画の賜物である「八幡堀」が汚れきってドブになってしまったので、水路を埋め立てて駐車場にしてしまうという計画がもちあがります。予算もついて、工事が始まろうとしていたところ、地元の青年会議所JCが「これだけ歴史的な意義があるものを埋めるのはおかしいんじゃないか」とたちあがり、四面楚歌の状態からねばりづよく戦って、堀が復活することになりました。こうした動きはやがて、伝統的な商家の町並を保全する取り組みにも発展していったのです。
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